気になったもの

May 26
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乙武洋匡さんの講演会、廿日市さくらぴあにて開催

「五体不満足」の著者、乙武洋匡さんの講演会が広島県廿日市市の さくらぴあホールにて2013年6月8日開催されます。今回の講演は廿日市市制施行25周年を記念したもので、乙武さんは「チャレンジ精神を忘れずに」というテーマで講演を行います。

乙武さんの人権講演会は入場無料、手話通訳なども行われる予定。車椅子で来場を希望する方は、5月29日までに連絡要とのこと。

詳しくは、廿日市市自治振興部(0829-30-9136)までお問合わせを。

乙武洋匡さん 人権講演会
「チャレンジ精神を忘れずに」(廿日市市政施行25周年記念)
日程: 2013年6月8日
時間: 13時30分から
場所: はつかいち文化ホール さくらぴあ大ホール
住所: 広島県廿日市市下平良1丁目11?1
講師: 乙武洋匡さん(作家・スポーツライター)
入場料: 無料 (席に限りあり。車椅子の方は事前連絡が必要)

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13/05/25(土)10:22:16 IP:125.196.*(mesh.ad.jp) No.1232715 del 05日07:46頃消えます[返信]
外出先でジャッキーチェンに出くわしたときの注意点

・椅子の近くで戦わない ジャッキー+椅子=無敵
 椅子を投げつけても その投げつけられた椅子にジャンプ
 して座り 蹴りを放ってくるため

・寝具売り場で戦わない シーツでぐるぐる巻きにされる

・むやみに中華食堂に行かない 必ず乱闘になる
 箸でパンチを受け止め中華鍋でゴン!ってされる
 なおジャッキーとの戦いの最中店長が
 「頼む店の外でやってくれ!」と懇願してくるが
 ジャッキーが肉まんを店長の口にはさみ黙らせるので無視

外出先で成龍に出くわしたら注意が必要である

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Kindleで素人が本出したりとか。 プロブロガーも色々出してるねぇ…誰とは言わんけど(数人浮かぶ)。 コンテンツの品位と品質、内容と対価のバランス構造がおかしくなってる気もする。 逆に手間のかかるアプリが無料で、そのくせ少しのミスで酷評されたりとかね。 あれってどういう価値観なんだろうか。 ニコニコの生主にはさくっと払って、グダグダのコンテンツを見てそれなりに満足して、 有料の素人メルマガにさくっと払って、毒にも薬にもならん記事を読み、 無料のアプリをDLしてちょっとミスがあるとレビュー欄に「最悪」とか書きこみ、 無料で見てるブログに気に入らないことが書いてあったら 「は?イミフwwwwwww」 とかコメント付けてみる、みたいな。
May 25
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388 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2011/03/08(火) 12:01:34.34 ID:abyt5l/q0
星新一は並みのミステリー作家が
もったいぶって200枚かけて書くようなネタを
20枚以内でさらっと書いちゃうようなお人。
だから文章や構成があまりにも淡泊になりすぎて
一読したところたいしたことがないように思えるのだが
彼の作品を下敷きにして(要するに薄めたり伸ばしたりして)
何百枚ものエンタメ小説を書くことは容易なのだ。


559 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2011/03/08(火) 14:35:11.08 ID:fBlTuSVO0 [2/3]
»388
小松左京の「日本沈没」は、第1部だけで上下2巻の大作だけど、
小松曰く「星さんなら『ある日、日本が沈みました』ですませる。」

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30億のデバイスで動くがなぜか客先環境で動かないJava
May 21
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昔私の父親が弓を始める時

に、曾祖父が注意したことが二つある。

「弓術の本を読んではいけない。絶対に人の技を批判してはいけない。」この二つで

す。 「弓術の本を読んではいけない」というのは、一つには迷いを生じるからで

す。 例えば「私の先生はこう言っているが、外の先生はこう言っている。全然、違

う。どっちがいいのかな? では両方の良さそうなところを取って・・・」。これが

一番上達しない人の見本です。

— (via constan, sandman-kk) (via yameroyo) (via mukidashi) (via ryuseim) (via leeshenshu) (via oyaki) (via nacatanacata) (via motovene) (via nashi-kyo) (via layer13) (via mcsgsym) (via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym)
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「米Yahooに買われるとロクなことにならないだろう」という反応が世界的にここまで大きかったことに改めて感慨を覚えざるを得ません。
May 20
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相談者 女子高生 10代

10代の女子高生です。

父の休日は食べる、寝る、テレビの繰り返し。他のことは何ひとつやりません。仕事は自営業で、「忙しい」と言う時期もありますが、一日中テレビがついているようで、ちゃんと仕事しているのか不審です。最近は夜遅くまでケータイをいじっており、50歳にしてケータイ依存症で、意味がわかりません。

私は物心ついたときから父が嫌いで、母には「お父さんみたいにならないように」と、育てられてきました。幼い頃、2月の公園の噴水で私が遊びたがるからと父が遊ばせ、私は肺炎で入院したことがあります。

父への感謝の気持ちはこれっぽっちもありません。老後の面倒を見る気はなく、のたれ死ねばいいと思います。お父さんと仲がいい友達がとてもうらやましいです。父を好きに……なろうとしても、いいところなんてひとつもないし、子供に無関心ですべて母に任せきり。最近は通知表も父には見せていません。

母は父との結婚は失敗と言っており、私は離婚してほしいのですが、経済的なことを考えると無理です。父がいる休日はイライラし、死んでほしい、殺したいという気持ちが強くなります。虐待でもされれば訴えられるのにと、楽しいはずの休日はストレスでつらくて泣くようになりました。どうすれば良いのでしょうか。思春期という理由で片付けないでほしいです。


回答者 評論家 岡田斗司夫

「お父さんみたいにならないで」。母はいつも言う。

不思議です。あなたは女、父にはなれません。なるとすれば母親でしょう。

「お母さんみたいになっちゃダメよ。」こう言うべきです。

なぜ母は「私のような母親になるな」と言えないのか?ここがポイントです。「私のような母親」とはどんな母親でしょう。答えは簡単ですね。

自分に無関心・無頓着な夫と結婚し、離婚もできず、思いつく限りの愚痴を幼い頃から言い聞かせ、やがて娘が「父など死ねばいい」と思いこみ休日に泣いて過ごすように仕向ける母。それが「私のような母」です。

本当に最悪の父なら、なぜ母親は離婚しないのか?これも簡単、ちゃんとストレスのはけ口があるからです。自分の言い分を全部信じる娘に毎日悪口を言ってストレス発散してる。だから母は耐えられる。つまりあなたの犠牲の上に、母は暮らしている。

あなたの父親像は、母の愚痴でできている。寒い中、娘にせがまれて公園まで連れて行く父。はしゃいで寒いのも忘れ夢中であなたは噴水で遊んだ。でも風邪を引いたあなたに母は「父が悪い」と吹き込みます。繰り返される呪いの言葉が楽しい思い出を消してしまったのです。

人間は弱い。誰かの愚痴や文句を言わないと生きていけない。

母の不幸は、家に閉じこめられて、視野が狭いことです。趣味が「父のダメ出し→娘に吐き出し」だけ。こんなの誰の得にもなりません。

ではどうするか?あなたがこのマイナス連鎖を切りましょう。誘ってあげて、お母さんの興味を外に向けさせる。これができれば、状況はかなり改善されるはずです。お母さんと一緒に映画やショッピングや旅行をする。そのために、あなたがバイトをするのもアリ。お母さんにもパートを出ることをどんどん勧めましょう。

パートをすれば、お母さんの世界も広がるし、お金も、できることも増えます。本当に最悪な父なら、あなたと母が一緒に働いたら独立も可能でしょう。

難しすぎますか?じゃああなただけでも逃げてください。たった3人家族で2人が1人の悪口を言い合っている家は地獄ですよ。高校生ならもう働けます。

逃げなさい。さもなければ、母を助けなさい。

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筆者があらゆるドラクエ関連のレビューを読んだ中で、一番スリルがあり鬼気迫る読後感と感動を覚えたのが『CURE キュア』imageなどの作品で知られている黒沢清の著書『映画はおそろしい』imageに掲載されていたドラクエⅡに関するエッセイである。以下そのページを引用しよう。

「FFⅢをめぐる対談記事の中の、高橋源一郎氏の発言を読んで、ハタと膝を打ってしまった。氏は”やはりドラクエⅡが最高である。ドラクエⅡには殺意が感じられた”と語っている。 
 そうなのだ。ドラクエⅡ。あれは確かに凶暴なゲームだった。プレイヤーが手塩に掛けて育てたキャラを、容赦なく皆殺しにしてしまおうとするドス黒い意志が全編を支配していた。ダンジョンの奥底でやっと見つけた宝箱を前にして、突如出現したキラータイガー四頭立てによる先制攻撃。それは悲惨としか言いようのない状況だ。バタバタと死んでゆく仲間たちは、棺桶と化して教会へ送り返される。この屈辱から立ち直るのは並たいていのことではない。 
 いったいいつの頃からだろうか。RPGがキャラを育てるゲームであるという認識が一般的になっていったのは。確かに、主人公がだんだん強くなってゆくのを見るのは楽しい。所持金がうんとたまれば、思わず顔がほころんでしまう。しかし、お金や魔法値を精一杯節約し、取れる宝は全部取って、最短コースでゴールに向かうだけがRPGではないはずだ。終了した時、100万Gたまっていたからといって、いったいなにが楽しいのか。巨大なドラゴンのボスを一刀の元に斬り捨てたからといって、何が偉いのか。RPGが効率よくコトを進めればよいだけのゲームに成り下がってはならない。 
 ドラクエⅡに戻るべきである。たかがマンドリルくんだりにボロ負けして、命からがら城へ逃げ帰ったことを思い出そう。あれは、はっきり生きるか死ぬかのゲームだった。キャラを育てようなどと考える余裕はなく、僕たちはただ何とかして生き残ることだけを考えていた。ふと気付くと、確かにキャラは成長しているのだが、そんな満足など吹っ飛んでしまうほどの凶悪な罠がすぐ先に仕掛けてある。でも、僕たちは負けなかった。 
 最初、城の周りを逃げ腰でうろつくだけだった自分が、いつの間にか強靭な意志と勇気を持って死に挑みはじめる。ドラクエⅡは、そんな自分自身のけなげさに涙するゲームである。 
 はっきり言おう。RPGとは、断じてキャラを成長させるゲームではなく、プレイヤー自身が成長してゆくゲームなのだ。」(P.186-187)

 
 ここで言われているドラクエⅡとはもちろんFC版のことである。後にリメイクされたSFC版とGB版は難易度が大幅に下がってしまった。つまり、本物のドラクエⅡを体験するならばFC版でなければならないのである。
 
 FC版ドラクエⅡの存在は、一種のホラーである。筆者も子供のころ体験したロンダルキアの洞窟の地獄は、はっきりと「悪夢」として記憶に刻印されている。やっとの思いで命からがらロンダルキアの洞窟を抜け出したら、そこは一面雪景色だった。ああ、なんて綺麗なんだと感嘆し、数歩踏み出すとさらに凶暴なモンスターがウジャウジャと現われてきたのである。
 
 FC版ドラクエⅡは『バイオハザード』や『サイレントヒル』シリーズより「おそろしい」ゲームであった。
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どういうユーザーがこういう画像をリブログしているかを調べいてくうちに、身の回りの日本のユーザーとは根本的に違う考えでTumblrをやっている人が多いことに気づいていった。

 まず目についたのが、Tumblrにはテーマという機能があってそれぞれ見せ方をカスタマイズできるのだがそれにこだわっている人が異常に多い。ダッシュボードしかみてなくて自分が見やすいようにすればいいやと思っていた僕にとってはそれが衝撃だった。例えばこんな感じだ。

》背景がビーチ画像で、読み込みむ時になぜかドルマークが…。

》こんな風にWINDOWディスクトップのようなテーマも。

》全面に引き伸ばしたり。

》後ろの背景をGIFにしてその上に配置してみたり。

 そして次に興味深かったのが、Tumblrのトップページから見える位置にMeやMyFaceというリンクがあり、ユーザーが自分の顔写真をアップロードしていることだった。自撮りだ。それもWEBカメラで撮られたものが多い。自分のお気に入りの画像をコレクションするだけだったらわざわざ自撮りをアップロードする必要も無いのになぜだろうと不思議になった。しかも、プロフィールが書いてあることが多い。色んなプロフィール(英語だけど翻訳して)を読んでみると、思ったより若いユーザーが圧倒的に多いということにさらに驚いた。名前、住んでいる場所、年齢が書いてあることが多い。住んでいる場所は世界各地に散らばっていて、アメリカ、カナダ、南アフリカ、ドイツといった具合だ。日本のユーザーはあまりいない。年齢は15歳~20歳が一番多いように感じた。プロフの分を詳細に読んでみると、好きなアーティストだったり、学校は退屈ですといった内容や、趣味が合う人メッセージ下さいみたいな内容も書いてあった。

 ここで一つの仮説に至った。プロフィールを公開するという一面では、もしかしたら日本で中高生の間で一時期流行ったことのある前略プロフのような使い方をTumblrでしているのかもしれない。しかし、学校のコミュニケーション前提だった前略プロフと大きく違うのは、その繋がりがイメージ重視であることだろう。私はここにリブログしてあるこういうイメージが好きだから、同じように好きな人と仲良くなりたいという感覚がそこにはある。別にそれが学校の友達である必要性はない。むしろ学校というコミュニティーから外れて、そこからの逃避の場として自分の好きなイメージの世界にトリップする。カナダの田舎町に住んでいる少女と、ドイツに住んでいる少年が同じイメージが好きで画像をやり取りすることは日常茶飯事だろう。そしてお互いが確かにインターネットを通して存在しているのだということを、質素な部屋でノートパソコンに備え付けてあるWEBカメラで撮られた自撮りで認識して思いをはせる。色々なTumblrを見ていてそんなリアリティーがインターネットを覆っているのではないかという気がしてきた。